つつがなく普通

自分に起きた出来事の結果を「良い」or「悪い」の2極で判断しない。
今の自分ができることを(与えられたこと)に専念すること。
とカルマ・ヨーガを学びました。

とはいえ、心の癖は簡単には直らないもの。
日常生活では心はすぐに「成功」・「失敗」で判断して、
気持ちもアップ・ダウンを繰り返します。
(でも以前に比べれば、そうなりそうな自分に気づけるようになりました。)

この考え方を簡単に変えてくれそうな本を見つけました。
「偶然のチカラ」植島啓司(集英社)
この中の一部を抜粋します。
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もし飛行機が空港に着く時に事故にあったら、われわれはそれを「不運」と呼び、(中略)
では、飛行機が無事に着いたとして、われわれはそれを「幸運」と思うだろうか。
たしかにホッとすることはあっても、きっと幸運とまでは思うまい。
つまり、ひとつの行為の結果がプラスで「当たり前」、マイナスで「不運」というのはいかにも
不公平ではないかということにある。

われわれは人生の座標軸を ①幸運 ②普通(つつがなく) ③不運

という3極で考えるべきではないのだろうか?
すると、その比率は5%, 90%, 5%くらいになるはずだ。
ところが普通(つつがなく)の90%は通常見えにくくなっている。
普通(つつがなく)は本来感謝すべきことなのに、だれもがそれを忘れてしまっている。
それに気がつくのは、病気をしたり、監獄に入れられたり、死が近づいているのを実感したときだけ。
われわれはいつも「不運」だけをクローズアップしてしまうのだ。「なぜ、自分はこんなに不運なのだろうか」と。

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普通に暮せることって幸せ。


面倒くさいと思う原因

先日、突然インターネットが使えなくなりました。
原因を調べていたら無線LANが使えなくなったらしい、
となるとプロバイダーに電話する必要があるのか・・・と
思った途端に「めんどうくさい、やりたくない!」と
いう気持ちがムクムクとわいてきて、
まる1日嫌々した気持ちのままに過ごしました。

「そういえば前にも同じようなことがあったな、
何でこんなに抵抗する気分になるんだろう。」
と感情を横において自分自身を見つめてみました。

見えてきたのは、
「パソコンを直すことは大変だ」、「電話がつながらなくて待たされる」
「自分でやるのは大変だから誰かにやって欲しい」
と受け止めている自分の思考でした。

「直すのは面倒だ、でもやるしかないし、やれば直る」
そう思って行動したら3日で解決しました。

日々の生活の中で無意識に行っている
マインドの働きに気づくとき、目の前のフィルターが
一枚取れたような明るい気持ちになります。

蓮華~padma

日曜の朝に友人から蓮の花の写真が届きました。

夏の朝に咲く蓮の花、息を飲むほどに、美しい。

いま、ここに生きている蓮花の
清らな存在感、
生命の美しさに

しばらく言葉がでない。

何より写真を撮った友人の心が蓮を通して伝わってくる。

生きている、ただそれだけで素晴らしい。

何よりもその感動を伝えてくれた
友人のハートから流れてくる
あたたかな思いやりに胸が熱くなりました。

ありがとう。

私たちの心に蓮華が永遠に花開きますように

om mani padme hum